僕の奥さんはイケズな京都人

長々と文句ばかりなブログ

大柵欄






そんな再開発された前門から 少し南に行ったところから西に入る路地がある、

それが 大柵欄。

ここも再開発のエリアらしいが、全て変わったわけではなくて 少しは以前のままで残っている。





ここの説明は、ANAのサイトから引用。


北京で、唯一王朝時代の面影を遺す盛り場が大柵欄。明代に開かれ清代に発展。日本でいうところの城下町であったため、庶民の生活、遊興の場ではあったが、城内の貴族がしばしお忍びで遊びにやって来た。
京劇、各種演芸の劇場があり、茶館も立ち並び、薬屋、食堂、服屋、遊郭もあった。いずこの国も同じだが、新しい文化はこのような場に生まれる。
いまもこの通りには、17世紀に創業した漢方薬の〈同仁堂〉が古典様式のまま遺り、チャイナ・ドレスの仕立て屋の〈瑞祥調布店〉、北京最大の茶楼〈張一元茶荘〉等が昔のままに営業している。
日本で言うと 浅草のようなところです。近くの胡同(横丁)には芸人たちがたくさん住んでいて、芝居に使う小道具を売る店もあったらしい。
ただこの老街は、1900年義和団事件の際、列強連合軍との戦火に呑まれ灰燼に帰している。しかし、復興は早く、数年後には京劇の劇場をはじめ、商店等も復興し、賑わいを取り戻している。
そして、イギリスからもたらされた映画カメラを使い、1905年には大柵欄の劇場で、京劇の撮影が行われた。それが最初の映画だった。
その劇場は50年代には電影院となったが、百年を記念し、中国映画誕生の地として〈大現楼〉という記念館に建て直された。王朝時代の様式が復元され、館内にはちいさなシアターが設けられ、過去の名作が上映されている。
いまも昔の盛り場の面影を残す通りに出現した〈大現楼〉。百年前、中国映画がどのような世界で誕生したのか、これほどリアルに伝えるショー・ケースもないだろう。〈電影博物館〉と〈大現楼〉を見て、歴史のドラマを体感できる。









ここね。

この大柵欄には、これ以外にも 西太后の靴とかを作っていた老舗の靴屋さんとかね。




可愛いでしょ。

子供の履く 中国の昔の靴とか お祭りに使うような靴とか 可愛いのがいっぱいある。(私が履くわけではないのだけどね)








この大柵欄の、裏路路は、結構危ないらしいけど 猥雑で面白かった。

でも この再開発で そのほとんどは、潰されてなくなってしまったのだけどね。

まあ それでも ここは、多少だけど、、、まだ少し昔の北京らしさみたいなのが残ってる。