僕の奥さんはイケズな京都人

長々と文句ばかりなブログ

元宵節




今年の元宵説は、9日です。

丁度 去年は北京に居て その夜のことを思い出す。

元宵節とは、春節から数えて15日目で、最初の満月の日。旧暦のお正月の締めくくりの日です。

そんな日は、お団子を食べるのです。

だから 街の団子屋さんは、、、、凄い行列。

それに この日までしか 花火や爆竹を鳴らしてはいけないので この日の夜は、、、、、

街中 花火大会。。。。。。凄まじい花火の量です。

煙が街中を覆ってる感じ。オリンピックの花火もかなわないだろうなぁ。。。。







中国人の花火をする量は、半端じゃない、、、、、、一月の給料分位する人もいるとか、、、

それに こっちじゃ花火って安いのかな?なんて思ってたんだけど 全くそんなことないようです。

結構 命かけてるぐらい 命かけてます。


元宵節の由来

2000年前の前漢時代、皇帝に「元宵」という名の側女がいました。皇居に入って3年も実家へ戻れず、家のことを心配するあまり泣いてばかりいました。
大雪が降ったある日、大臣の東方朔が武帝のために梅の枝を折っていると、元宵が井戸に身を投げようとしていました。東方朔は、それを助け、家族思いの元宵のため、ある方法を思いつきます。

東方朔は、元宵に緋色の服を着せ、長安の大通りに行かせて玉帝のお告げといつわって、
「わらわは火の神なるぞ。聖旨を奉じて長安に火を放ちにまいった。玉帝は南天門の上に立たれて天上からこれを見物される」
と言わせました。
それを聞いた人々は、慌てて助けを求めたところ、元宵は
「このたびの災いを避けたいと望むならば、この赤い書状を天子に渡し、対策を講じさせよ」といって、赤い書状を手渡しました。

武帝がこの書状を開いてみると、そこには
長安在刧  長安は刧にあい
火焚帝闕  火は宮城を焼き払う
十六天火  十六の天火は
焔紅宵夜  炎で宵夜を赤く染めん』
と書いてあります。

武帝が驚いて東方朔に方策を尋ねると、東方朔は、
「伝え聞くところによると、火の神は『湯圓』が大好物だそうです。女官の元宵は『湯圓』をつくるのが上手で美味しいことを、火の神も知っています。十五日の夜に彼女に『湯圓』をつくらせ、陛下は香を焚いてそれを供えたらよいでしょう。それから住民たちにも『湯圓』をつくらせ、火の神に捧げましょう。そして臣民がいっせいに灯篭を作り、十六日の夜家ごとに火を点して飾り、花火をあげ、爆竹を鳴らせば、まるで城じゅうに火の手があがったようで、南天門で見物している玉帝の目をごまかすことができましょう」

武帝はすぐに東方朔の言葉通りにするように命令しました。正月十六日の夜、長安の城内では灯篭を飾り、いっせいに花火を打ち上げました。元宵の家族も灯篭見物にやってきたので、元宵は念願かなって、家族と顔をあわせることができました。
それから毎年、元宵はこの機会に一家と顔をあわせることができるようになったということです。
 
元宵節のご馳走

元宵節には、「元宵」という団子を食べます。「元宵」は「湯圓(汤圆∶tāngyuán)」とも呼びます。
春秋時代の終りには、元宵を食べる習慣があったと言われていますが、当時は粘り気のある、白いかゆ状のものでした。後に、お湯の中に浮かんだ、甘いあんの入ったもち粉の皮のお団子に変わっていったのです。
満月のように丸く、銀元(昔のお金)のように白い湯円には、団らんの意味があり、幸福の象徴でもあります。
 

以上は、中国まるごと百科事典から 引用。